メタリックルージュ

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「小説現代」連載の外伝「銃口は烟り」試し読み


小柄な女性が一人、路地裏に入るなりタバコに火をつけた。
咥えたタバコの火に、ボウッと彼女の顔が浮かび上がる。およそ三十代の前半といったところだが、潑剌とした雰囲気もあって年若く見られることも多いだろう。
「あら、ごめんなさい。誰かいると思わなくて、嫌なら消すから」
街灯もない路地裏だった。まだ日が落ちたばかりだが、建物の陰は全くの暗闇だった。
「珍しいでしょ。今どき、紙巻きタバコなんて。でも好きなの、こうやって手元で煙が漂っていくのが」
気安く会話を続けながら、女性は細く煙を吐いた。フレーバーとして付けられたバニラ香が周囲に広がる。
「あと、そうだ。一応、身分証を見せてくれる? って、違う違う、あなたに言ってるのよ。私は別にタバコを吸っても良い年齢だって」
困ったような笑顔を浮かべ、女性は手を掲げて自らのIDを空中に表示させた。ホログラム映像として彼女の顔と名前、そして特徴的なエンブレムが浮かび上がる。
「エステラ・サリアン、守護局の捜査官よ」
意匠化された竜、それは民衆を守る者の象徴。



人類社会に革新が訪れて数十年。
二十一世紀の後半から人々は火星を植民星とし、また来訪者との接触、続く簒奪者との戦争を経て、太陽系を自らの領土と認識するようになった。それに伴い、治安維持を宇宙規模に拡張する必要があった。
かくして各地の警察機構とは別に、それらを横断的かつ統括的に管理する組織として守護局が発足した。さらに地球と火星、星をまたいで発生する超広域事件を扱うために局内に捜査部が設けられた。
捜査部の捜査官は、犯罪者を捕まえるためなら、地球全土を調べ上げ、大気圏の外まで執拗に追いかける。彼らは人類の守護者であり、また太陽系の嫌われ者であり。
そんな嫌われ者の中にあって、同僚からも煙たがられている男が今、ニューヨークにある捜査部庁舎の廊下を歩いていた。早足のせいか、くたびれたコートが風に膨らんでいる。周囲の同僚が微笑んでいるのは、その男の後ろを子犬のようにピッタリとついて歩く者がいるから。
「部長、いいですか」
男が執務室の扉を開ける。ズカズカと歩を進めれば、背後にいる者もスタスタと歩調を合わせていく。
「アッシュ捜査官、どうした?」
疲れた様子の捜査部部長が、机をはさんで無精髭の男──アッシュ・スタールを仰ぎ見る。
「いや、大した話じゃないんだ。俺が見た悪夢の話をさせてくれ。まず俺は今朝、ばっちり爽やかな朝を過ごした。二日酔いだったし、起きぬけのタバコに頭はガンガンしたが。でも自分で淹れたコーヒーは最高だった。コロンビア産のでね」
「なるほど」
「で、いつもの通りに捜査部に顔を出したんです。するとどうだ。俺の席に見知らぬヤツがいる。しかも人造人間ときた」
アッシュがチラと横を向く。少年のような顔をしたそれは、表情を変えることなく口を開く。
「人造人間ではなく、ネアンです」
「と、まずそんな生意気な言葉が聞こえてきたわけです。で、次になんて言われたと思います?」
さらにアッシュが促すように顎をしゃくった。隣に立つネアンが意図を汲み取り、前を向いてはっきりと喋る。
「ノイド262です。本日付でアッシュ捜査官の業務補助にあたることになりました。以後、お見知りおきを」
そう言って、ノイドと名乗ったネアンは自らのギャリソン帽に手をつけ、敬礼のポーズを取った。これを受けて、アッシュはどうだとばかりに皮肉めいた笑みを浮かべる。
「こいつは素晴らしい悪夢ですよ。ネアン嫌いの俺の相棒がネアンらしい」
「アッシュ捜査官」
肩をすくめるアッシュに対し、部長は分厚い眼鏡を外しつつ声をかける。ただ部下の愚痴に取り合うつもりもないのか、椅子を回して窓の外に広がる町並みに目を向けた。
「捜査部はいつだって人手不足なんだ。世界中、いや、彼方の星も含めて、一日でどれだけの事件が起こる。ネアンの手も借りたい、と思うのは当然だ」
「人員削減の結果だって言うなら結構ですよ。ただ、俺は一人で十分だ。自分の足だけで捜査できます」
「決まったことだ。捜査官にネアンを同行させるのは、記録保持と体力面の補助をするためでもある」
ダン、と机にアッシュの右手が置かれた。もう一方、左手ではノイドの肩を摑んで揺らしている。
「こんな、ガキみたいな、ヤツが!」
ノイドの容姿は一般的な作業用ネアンとは異なり、青年タイプのものだった。捜査部で使われている他のネアンは、ほとんどが警備用のものを流用した大柄なものだから、ノイドが珍しいのは確かだ。
「もっと威厳が欲しいそうだ。ノイド262」
「少しなら声は変えられますが」
部長の提案を受け、ノイドが声を野太くした。それを聞くアッシュが顔をしかめる。
「ガキの顔で声だけ変えても意味ねぇだろうが! そういうんじゃねぇ、そんな背丈じゃ荷物運びだってできねぇ、って言ってんだ!」
「百五十キロまでなら運搬可能です」
「正論で返すんじゃねぇ!」
口角泡を飛ばしつつ、アッシュが嫌悪の視線をノイドへ向けた。
しかし、ノイドは何ら動じることもなく、少年のような顔でまっすぐに見つめ返してくる。その薄灰色の肌には細いネアン線があるから、まかり間違っても人間ではない。
全く相性は良くないだろうが、これがアッシュにとっての新しい相棒だった。

庁舎二階の西階段の裏手は、建築の都合で屋根にあたる部分がない。雨の日には全く無用の場所となるが、風通しだけは良いので便宜的な喫煙所になっている。
便宜的な、というのは地球で紙タバコを嗜好する人間が減ったためだ。捜査部の中でさえ、この場所に喫煙者が集まっていることを知る者は少ない。
だからこそ、この喫煙所はアッシュにとって憩いの場だ。同僚とはそりが合わない彼にとって、一人になれる場所は貴重だった。
「だってのによ」
タバコを一吸いしてから、アッシュは隣に控えるノイドに視線をやった。
「ついてくんなよな」
「常に同行し、捜査官の行動を記録するのが仕事なので。そして喫煙は健康を害しますよ」
「知ってるよ」
アッシュがタバコを近くのバケツへ投げ捨てる。澱んだ水には吸い殻が無数に浮かんでいるが、これを掃除する者もいない。それこそネアンにやらせればいいのに、とアッシュは思った。
思いつつ、アッシュは二本目のタバコを咥えた。
「ほら、吸いすぎです」
「うるせぇよ。タバコの味も知らねぇくせに」
「確かに喫煙をしませんが、捜査用のネアンですので有害物質の検知機能はあります。現在もアッシュ捜査官の吐く息からはタール、ニコチン、アンモニア、窒素酸化物にベンゾピレンといった──」
「だぁ、うるせぇ、うるせぇ! 素直に臭いって言えよな!」
アッシュがノイドから顔をそむけたところで、物陰から小さな笑い声が聞こえた。誰何するより早く、コツコツと足音を響かせて近づいてくる者がいる。
「今日はやけに賑やかだね」
スーツ姿の小柄な女性だ。彼女は微笑んだまま、自身が咥えた紙タバコに火をつけた。
「エステラかよ。タバコなんざやめろよな」
あえてのダブルスタンダードは、喫煙者同士のお決まりのジョークだ。
「女だからって? 相変わらず古臭いね」
ジョークの返しにアッシュが苦笑いを浮かべると、エステラも煙を吐きつつノイドを挟んで横並びとなった。
小柄で若く見えるエステラと少年じみたノイドが並ぶと、アッシュだけがまるきり場違いに見える。不良少年たちの集会に、疲れた大人が紛れ込んでしまったかのような。
「エステラ・サリアン捜査官ですね。自分はノイド262です。本日付でアッシュ捜査官の──」
「大丈夫、知ってる。私も前はネアンの相棒がいたから」
エステラが自然と手を差し出していた。一拍遅れて、ノイドはそれが握手だと認識し、その手を握り返した。
「人間扱いしやがって」
「ネアンでも相棒は相棒よ。道具だと思っても良いけど、アッシュだって大事な道具なら相棒って思うでしょ」
快活に笑いながら、エステラは片手で拳銃を撃つジェスチャーを加えた。撃たれた方のアッシュは自らの胸を押さえ、ホルスターに収まった〖圏点:昔からの相棒〗を確かめた。
「相変わらず、煙に巻くような言い方しやがって」
「ネアンでもなんでも、大事にした方が良い、っていう私からの教訓だね。それから、もう一つ──」
エステラが虚空に向けて指を振る。遠隔でデータが飛ばされ、アッシュの持つ端末に資料一式が送られてきた。
「なんだ、こいつは?」
「引き継ぎだよ。私が担当していた事件だけど、ちょうど進展があったから任せたい。これはネアンを帯同させた捜査官の方が動きやすいだろう、って」
どんな事件かと、アッシュが端末を操作して空中に映像を浮かび上がらせる。ノイドもまた、顔を近づけて捜査資料を覗き込んでくる。
「随分なもんだな」
「これが芸術的、というのでしょうか」
アッシュとノイドが互いに感想を漏らした。表示された画像には、人間と車が不格好に融合したようなオブジェが写っていた。ただし、これは殺人事件ではない。人間の被害者などいないのだから。
「いわゆる〝ネアン・アート事件〟だよ」
フッ、とエステラが煙を吐く。ホログラム映像と煙の粒子が混じり、光の反射が奇妙な色合いをみせる。
まるで水面の油膜のような、こびりついた悪夢のような。



ウィーンの空港に降り立った時、アッシュは初めてノイドを認めても良いように思った。
「入境手続きを終わらせて来ました」
「おう」
世界中を飛び回る捜査官にとって、最も煩雑な仕事はそれぞれの地域での外交的折衝だ。文化も法律も違う地域に乗り込んで、地元警察の頭の上を飛び越えて捜査を行うのだから、守護局の人間が嫌われないわけがない。
もしアッシュが単身で捜査をしようものなら、空港で何日も足止めを食らい、しまいには地元警察と喧嘩沙汰になっていただろう。そういう意味で、感情的にならないネアンが交渉事を担うのはスマートだ。
「だが、俺はまだ認めねぇからな」
「はい?」
ウィーン市内へ向かう自動運転車の中で、アッシュは隣に座るノイドに悪態をついた。
「役人仕事みたいなのはよ、そういうのが得意なヤツに任せりゃいい。捜査官の仕事じゃない。だから、お前は捜査官にゃ向いてねぇ」
「そうなのですか。では、どうすれば向きますか?」
「ああ?」
教えを請う生徒のように、ノイドは邪心のない目でアッシュを見ていた。その様にアッシュも困ったように頭をかく。
「捜査官ってのは、事件を解決してこそだ。市民が安心して眠れるように、俺たちは寝ないで働くんだよ」
「では事件を解決しましょう。早く解決すれば、アッシュ捜査官も安眠できます」
アッシュは何か言い返そうとしたが、文句が出るより早く、ノイドが捜査資料を映像として表示していた。
「広域事件三〇九号、通称〝ネアン・アート事件〟です」
複数のホログラム映像が、ウィンドウとなって車内に浮かんでいる。それらをノイドが並べ直し、アッシュにも見えるように広げていく。
「最初の事件が起きたのは約一年前、サンフランシスコで見つかったものです。以前からグラフィティアートが多く描かれていた高架下の壁に、破壊したネアンを貼り付けたものですね」
表示された写真には奇妙なアートが写っている。
男性型ネアンが頭から両断されたうえ、断面の方を壁に貼り付けられている。それは左右でポーズをつけられ、左半身が花束の絵を捧げ、右半身が驚いていた。自分自身へのプロポーズといった風情があるが、彫像というより立体的な絵画と言った方が的確だ。
「まるで壁画だな。エジプトとかのよ」
「この段階では、少し過激なアートとして処理されましたが、その後、デトロイト、バルセロナ、イスタンブール、成都、ニューヨークといった都市で似たような〝アート〟が発見されました」
ノイドは無感情に写真を並べ替えていく。
そのいずれにも、ネアンを使った奇怪な〝アート〟が写し取られている。男性型のネアンもいれば、女性型のものもいる。彼らは四肢を切り離され、あるいは標本のように体を剝かれ、細切れになったパーツが立体パズルのように積み上げられていた。
「いずれのネアンもメモリーを破壊されており、犯人についての情報は抜き出せていません。ある程度、ネアンについての知識を有する人間による犯行でしょう」
苦悶の表情を浮かべるネアンの残骸を見たせいか、アッシュは静かな苛つきを覚えた。
「こんなになってもよ、事件としちゃ小さなもんだ。ただの器物損壊。公共物への落書きと同じだ。地元警察も取り締まるつもりはねぇときた」
「それでは、どうして守護局の案件に?」
これだよ、とアッシュが一枚の現場写真を引き寄せた。
画像の中では青年タイプの男性型ネアンが解体され、奇妙な猫のような生物に作り変えられていた。画家モローの描いた『スフィンクス』の悪趣味なパロディだった。
「こいつはショーパブ勤めの愛玩用ネアンだったらしい。〖圏点:そっちの趣味〗の人間にファンがいて、その一人がさる大物議員なんだと」
「では政治的な──」
「言うんじゃねぇよ。きっかけはそうだが、別に有力者のご機嫌取りで捜査部が動いてるわけじゃねぇ。これも治安維持の一つだ」
アッシュの言葉通り、捜査部が動いているのは昨今の社会情勢ありきだ。
ネアンに対する器物損壊といっても、やはり人間のように動いて話す存在が無惨に破壊される様を良く思わない者は多い。巷ではネアン保護を訴える団体も登場しているし、火星においてはネアン自身が政治組織を作り、自治と権利を訴えている。
「つまりだ、この事件が広まるほどに人類側がネアンに負い目を感じる。ネアンが可哀想、ってな。すると政治的にどうなる?」
「ネアンの権利向上を認める方に動くかもしれません」
「そういうこった。だから守護局は、早々に事件を解決したい。大した事件じゃありません、人類の皆様はこれからもネアンを道具として扱いましょう、って結論づけたいんだ。保守的だからな」
そこまで言ってから、アッシュは座席に深く身を預け、大きく溜め息を吐いた。
「なぁ、お前は、仲間がバラバラにされてるのを見て、何も感じないのか?」
「わかりません。機能停止した個体は、ただの物質ですので。これらが芸術的なのか、グロテスクなのかもわかりません」
「そういうとこだぞ。お前も審美眼ってのを鍛えとけ。俺は諦めてるからよ、代わりに鍛えろ」
アッシュは手癖でタバコを取り出したが、自動運転車の中は当然のように禁煙だ。何気なく窓の外を見れば、遠くに市街地が見え始めていた。
「せっかくの芸術の都だからな」
口寂しさを堪え、アッシュは目的地に早く着くことを願った。

観光都市であるウィーンは、相変わらず人間のための街だ。
市内で働くネアンは主に公共用で、清掃局と交通機関に配されているものばかり。商店では未だに人間同士が会話して買い物ができるし、美術館には自前の知識を蓄えた人間のキュレーターがいる。街の人間は、日常の陰で働くネアンを意識することもない。
だから、ドナウ島の真ん中に現れた〖圏点:それ〗を、多くの人は目新しいオブジェだと思っているようだった。
「こりゃまた力作だな」
規制線の中へ入り、目的のものを見たアッシュの感想だ。
夕日に照らされたオブジェはアップライトピアノの形をしている。つまり幅広い肩から腕を本体に、足をペダルに、頭部を譜面台として、鍵盤の代わりにネアンの胸部パーツが並べられている。金属製のパーツを叩けば、それこそ鉄琴に似た音色が奏でられるだろうが、アッシュは試そうとも思わなかった。 「俺たちの到着まで、わざわざ現場を保存してくれたらしい。人間の死体じゃこうはいかないが、これも良し悪しだな」
アッシュが辺りを見回すと、規制線を守る警備用ネアンの向こうで観光客が写真を撮っているのが見えた。二日ほどオブジェを放置した結果、新たな観光名所となってしまったようだった。
「すでに〝ネアン・アート事件〟は噂になっているようですので。世間からも注目されてますね」
「ったく、新作発表会じゃねぇんだぞ」
ぼやきつつ、アッシュはオブジェに近づいて周囲を確かめた。芝生の上には引きずった痕跡があり、この〝アート〟が外部から運び込まれたことを示していた。
「捜査報告書じゃなんて言ってる」
「はい。まずネアンの身元ですが、清掃局に登録されていますね。運用開始して一年目、二週間前に失踪していたようですが、ウィーン市内で信号が途絶えてからの足取りはわかりません」
ノイドからの報告を聞きながら、アッシュはオブジェの方も詳しく見ていく。
大きく四角に広がったネアンの上半身は医療用ステープラーで繫がれ、むき出しの胸部パーツには溶接の跡があった。背面は存外に雑な作りで、ちぎれた皮膚の上から普通の布が縫い付けられていた。
「適当なところでネアンを捕まえて、すぐさま破壊。で、どこか別の場所でオブジェに作り変えて、ここに運び込んだな。──監視カメラは?」
「この近辺には施設がないので、現場近辺は把握できていません。少し先の道路にはあるようですが」
「もし船で渡ってきたなら、お手上げだな」
アッシュは現場から離れ、川べりへと移動してタバコに火をつけた。雄大なドナウ川を見ながらの一服は心地よいものだが、どうしても破壊されたネアンの姿が脳裏をよぎる。
同情するつもりはない。ネアンは単なる道具で、たとえるなら車を徹底的に破壊して、新たなオブジェとして作り変えるのと同じだ。違いがあるとすれば、それが人間の顔をして、人間の言葉を話すだけ。
「アッシュ捜査官」
「灰皿」
後ろから近づいてきたノイドに意地悪な命令を出してみれば、お見通しとばかりに携帯灰皿を即座に渡してきた。
「これエステラのだろ」
「捜査部を出る直前に渡されました。アッシュ捜査官はどこでも遠慮なく喫煙するので持っていきなさい、と」
「変な入れ知恵しやがって」
アッシュが携帯灰皿にタバコを押し付ける。そのままノイドは携帯灰皿を回収し、制服のポケットへとしまい込んだ。
「それよりアッシュ捜査官、今回の事件についてですが」
「何かわかったか?」
ノイドがアッシュの隣に並ぶ。自前で捜査資料を検索し、それぞれ解析しているようだった。
「これまでの事件と合わせてプロファイリングを行いました」
「さすがの頭脳ってか。言ってみろ」
「では、まずオブジェの多くが大型の男性型ネアンを素材としているため、重量は百キロ近くなり、これを運べるのは健康な成人男性ということになります」
「複数犯の可能性は?」
「低いと思われます。今回の現場にオブジェを引きずった跡がありました。二人以上で運んだなら、もっと簡単に動かせます。また他の事件現場も、人目につかない場所ばかりを選んでいます。これは運び込むのに時間がかかるためかと」
ふん、とアッシュが鼻を鳴らす。ノイドの見立てが自身と同じだったためだ。
「犯人像は?」
「ネアンに対して、強い思想を持つ人間だと考えられます。また世界各地を自由に移動できる社会的地位があり、一定の美術的素養がある人間です」
「ああ、大まかには正解だ」
ぶっきらぼうに言い切って、不意にアッシュは背を向ける。ノイドは風に翻るコートを視線で追った。
「大まか、ですか?」
「そうだ。だが、大まかでいいんだ。それ以上は予断になるからな。詰めの捜査は足でやるのが基本だ」
「どちらへ?」
早々に現場を離れようとするアッシュに対し、ノイドはいくらか焦った様子でついていく。規制線を出た辺りで、歴戦の捜査官は一度だけ振り返った。
「容疑者のところだよ」
その不敵な笑みに、ノイドは意外そうに目を見開く。



アッシュたちは日が沈み切る前にウィーンを発ち、高速機で一時間半、スコットランドのエディンバラに到着した。
今回もノイドによって入境手続きはスムーズに行われ、今は閑静な住宅街を歩いている。ウィーンとの時差は一時間だから、こちらもちょうど夕刻だった。
「すでに容疑者がいたのですか?」
「まぁな。捜査資料にはないが、エステラも目星をつけてた」
そう言うアッシュは、空港で買った紙の雑誌を丸め、自らの肩をポンポンと叩いている。紙の本は珍しいが、古い都市では未だに現役だったらしい。
「では、ウィーンまで行く必要があったのですか? 最初から容疑者のもとへ行った方が良かったのでは」
先を歩くアッシュが足を止め、愉快そうに口の端を吊り上げた。まだまだ甘い、と言わんばかりだ。
「写真を見て全部がわかるか? 現場に行って、そこの空気を感じてな、初めて見えてくるモンがあんだよ。ま、昔気質の現場主義だ。ネアンにはわかんねぇだろ」
「理解不能ですが、覚えておきます」
ノイドは答えながら、周囲の家々を見る。エディンバラ内にある自然保護区に近い区域だから、風景も百年前とさほど変わらないのだろう、未だに石造りの家屋が多く建ち並んでいる。
「高級住宅街、といったところですか」
「容疑者もそれに見合った経歴だよ。これ見てみろ」
アッシュは肩を叩いていた雑誌を後ろへ放り投げる。ノイドが受け止めると、それまで開かれていたページが表に出てくる。
「アーティストのキング・ラッド氏、反ネアン運動の旗手として注目、ですか」
ノイドが見たページには、長い金髪に髭を生やした大柄な男性が写っている。彼は破壊されたネアンの残骸の前で、反ネアン運動を象徴する人間の手を描いたボードを掲げていた。
「もとは社会風刺のグラフィティアートを描いていたんだと。人間による人間のための社会、ってのが信条らしくてな、そこから過激な反ネアン運動に参加していった」
「自由に移動できる職業、かつネアンに反対する思想を持っている。プロファイリングの通りですね」
「ま、大まかだ。あとは本人に会って確かめる」
「会ってくれるでしょうか?」
アッシュは肩をすくめた。なんとでもなる、といった意思表示だ。つまり特に策は考えていない。
実際、ラッドが暮らすという工房まで来てから、アッシュは素直に「守護局の者だが」と名乗り、家主の反応を待った。これで逃げ出そうものなら、それを証拠として捕まえてやろう、とさえ思っていた。
しかし、アッシュの予想を裏切り、古めかしい戸建ての玄関は開き、Tシャツ姿の男が気だるそうに現れた。
「キング・ラッドだな」
アッシュが自身のIDを表示させる。守護局のエンブレムを見ても、ラッドは顔色を変えない。
「ええ、まぁ」
伸び放題の金髪を搔きながら、ラッドは訝しげにアッシュを見据える。次いでノイドを見た時、あからさまに嫌悪の表情をみせた。
「世間を賑わす〝ネアン・アート事件〟について聞きたくてね、少しいいかい?」
「気乗りしませんね。ネアンと一緒の捜査官と話すのは」
そこでアッシュは深く溜め息を吐いた。
「同感だ。俺もネアンを連れ歩くのは気乗りしねぇんだよ。上から押し付けられたんだ。俺個人は昔ながらの捜査官だ。見りゃわかるだろ」
「はは、たしかに」
ラッドは軽薄な笑い声を漏らした。アッシュが自身と同じ、反ネアン側の人間だと思ったようで、途端に態度を改めた。
「こいつは外で待たせとく。それならどうだい?」
「人間なら、大歓迎さ」
ラッドの笑みにアッシュも歯を見せて笑う。意気投合したかのように、二人は楽しげに工房へ入っていく。そして玄関扉が重い音を立てて閉められた。
残されたノイドだけが、所在なく夕日に顔を向けた。

しかし、ほんの三十分ほどでアッシュはラッド邸を追い出された。
「どうでした?」
住宅街の路地で生真面目に待機していたノイドが、力なく歩いてくるアッシュを迎えた。
「めちゃくちゃ怒られた」
「なんでまた」
「二人してネアンの悪口で盛り上がったんだが、つい興が乗ってタバコを吸おうとしたんだよ。そしたらアイツ、かなりの嫌煙家らしくてな。毒物を周囲に撒き散らすような人間はネアン以下だとよ」
「下調べをしておくべきでしたね」
慰めているようで手厳しいノイドの言葉に、アッシュは唇を曲げて応える。
「もういい、今日は飲むことにする」
「捜査官は寝ないで働くのでは」
「うるせぇな。仕事にメリハリをつけるのが優秀な捜査官なんだよ」
夜の訪れた街をアッシュとノイドが歩いていく。

かぁ、と酒臭い息がアッシュの口から漏れた。
「普段はバーボンだが、本場に来たからにはな」
市内にある手近なパブに移動して作戦会議、もとい仕事の疲れを癒やすための小さな打ち上げだ。アッシュとノイドは対面しつつ、小さなボックス席に陣取っている。
伝統的な内装の店内には最新のクラブミュージックが流れている。客層もまちまちで騒がしく、アッシュたちの素性を探ろうとする者もいない。ネアンの給仕が現れて空のグラスを片付けると、アッシュは新たにスコッチを注文した。
「それでアッシュ捜査官、キング・ラッドは犯人なのでしょうか?」
「さぁな。肝心なところは何も聞けなかった。だが、例の事件については複雑な感情がありそうだな。ネアンなんかで美術品を再現するのはけしからん、芸術は人間のみで完結すべき、だそうだ。まぁ、噓かもしれねぇがな」
「噓、ですか」
ノイドは考え込むように、少年じみた顔をしかめさせた。
「アッシュ捜査官は、ネアンが同行するのに気乗りしませんか?」
「あ、なんだ? さっき言ったこと気にしてんのか」
「アッシュ捜査官のパフォーマンスが上がるのなら、自分はいない方が良いのかと思いました」
ノイドの表情は普段通り、何ら変わるところがない。だがアッシュはそこに感情を見出してしまう。人間側の勝手な想像だとしても。
だから、いくらか優しい声音を作った。ちょうど二杯目のスコッチが運ばれてきたところだった。
「それこそ噓だ。向こうさんがネアン嫌いだったからな、取り入るために大げさに言っただけだ」
「そうだったんですか」
「お前も勉強しろよ。捜査官ってのは相手の感情を利用するもんだ。俺は確かにネアン嫌いだが、ラッドとは種類が違う」
アッシュはグラスに口をつけ、琥珀色の液体を喉に流し込んでいく。酔いが回ってきたのか、次第に気分が大きくなってくる。
「俺には、妻と息子がいたんだ」
だからだろうか、アッシュの口は自然と軽くなっていった。飲みの席では何度も話してきた内容だが、ネアン相手に話すのは初めてのことだった。
「だが離婚した。ネアンのせいでな」
「ネアンのせいで?」
ノイドは単に聞き返しただけだったが、アッシュにとっては深く追及されたくない事柄でもあった。
「うるせぇな。よくある話だよ。俺が家庭を顧みない男で、妻は誰より利口な女だったんだ」
「つまり、どういう」
「ああ、だからな、俺があまりに帰らないから、家事を手伝わせるネアンを雇ったんだよ! それも、俺とよく似た顔をしたヤツだぞ!」
あまりな告白に、ノイドは何度も瞼をしばたたかせる。
「わかるか。家に帰ってきたら俺に似たヤツがいて、息子も懐いてやがる。それで夫婦喧嘩だ。売り言葉に買い言葉で、そのまま離婚届を突きつけられた」
アッシュは濃い酒を流し込む。顔の赤さは酔いのせいだけではないだろう。
「それ以来、俺はネアンのことが大嫌いなんだ」
「そうなんですか」
「俺の夢はな、息子と一緒に酒を飲むことだったんだぜ。それがどうだ、ネアンのせいで夢は夢のまま。で、何の因果か、今はネアンを相手にグラスを傾けてる」
赤ら顔を浮かべ、アッシュはノイドを正面から見た。これまで真横か背後に置いていた相手を、ようやく対面に置いて話すことになったのだ。
「俺の息子はな──」
今頃は、きっとノイドに似た美青年になっているだろう。
そう続けるつもりだったが、急に恥ずかしくなったのか、アッシュは言葉を止めた。まるでノイドに気を許したような口ぶりになってしまう。いくら酔っていても、認め難いものはある。
「ったく、部下相手に絡み酒かよ」
そう言い捨ててから、アッシュはジャケットにしまっていたものを取り出した。水滴を避けるように、テーブルに紙の本が置かれた。
「詩集、ですか?」
「雑誌と一緒に買ったんだよ。これを読んで勉強しろ。人間の感情の機微、ってやつだ。相手の心理状態を見抜くのも、捜査官には必要な技能だ」
「ネアンである自分に、人間の芸術が理解できるでしょうか」
ノイドはおずおずと、その新品の詩集を手に取った。
「理解しろよ。俺からの任官祝いだからな」
ぐい、と、アッシュはグラスに残ったスコッチを飲み干した。



翌朝、アッシュとノイドは南米へと飛んでいた。
目的地はコロンビアの世界遺産たるカルタヘナ。カリブ海に面し、大航海時代に栄華を誇った港湾都市にして要塞都市だ。街に刻まれた象徴は、奴隷と植民地、征服者と独立戦争──。今まさに、太陽系という新たな海へ漕ぎ出した人類にとっては歴史の相似たる土地だった。
「興味深いですね」
街を見渡せるサン・フェリペ要塞を登る者たちがいる。周囲には規制線が張られ、他の観光客は立ち入れないようになっていた。
「〝簒奪者〟との戦争で、植民星である火星が最前線となったのと似ています。いつかは火星に残った軍事施設も、この要塞のように遺産になるのでしょうか」
ノイドは崩れかけた石壁に手を置いて呟いた。その言葉は無自覚ながらも詩的な表現となっていたが、膝に手をつき息を切らすアッシュには聞こえていなかった。
「頭痛ぇ……。朝から運動させんなよ」
ノイドは振り返り、後からついてくるアッシュを見た。爽やかな日差しに照らされた彼の顔は、明らかに不健康そうだった。
「二日酔いです。今からでもコーヒーを飲みに行きますか? コロンビアなので本場です」
「なんだ、皮肉なら言えんのかよ」
その言葉にノイドは意味がわからない、といった顔を浮かべる。
「もういいから、早く行くぞ。すぐ上が現場だ」
アッシュは額に手をやりながら、一歩ずつ要塞を登っていく。途中で何度かノイドが肩を貸そうとしてきたが、それを意地と気力で断り、自らの足で要塞の最上部へとたどり着いた。
現場には警備用のネアンが一体配置されているだけだった。ノイドが先んじて名乗ると、警備ネアンは無言で道を開けた。
「どうやら、地元警察は事件として扱ってないようですね」
「粗大ゴミの不法投棄ってところか? 片付けられる前で良かったな」
物見台の近くまで来たところで、ひときわ強い風が吹いた。アッシュのコートは大きく翻り、ノイドは自らのギャリソン帽が飛ばないように手で押さえた。
「それで、新たに発見された〝アート〟ですが」
わずかばかりの潮の香り。その生暖かい空気に、どこか場違いなケミカル臭が混じった。電子部品が焼き切れた時のような、独特な焦げ臭さもある。
「ウィーンのものと同時期に製作されたと考えられます」
「ああ、だが雑だ」
アッシュは物見台の屋根を見上げた。
そこにブラブラと揺れるものがある。T字に交わした金属製の背骨に、二つの腕と足、四分割された胴体、そして頭部が鋼線でくくりつけられている。人間のものではなく、全てが一体のネアンを解体して作られたものだった。
「まるで悪趣味な吊るし飾り(ガーランド)だな」
意思を欠いたネアンの首が揺れる。その顔は恐怖に引きつっていた。
「これまでとは少し毛色が違うが」
ネアンにも機能として表情の変化はあるが、ここまで劇的なものにはならない。この〝アート〟の製作者が、わざと歪めたのだろう。アッシュはそう推理した。
「今回も監視カメラの映像はありません。観光地なのでいくつかは設置されていますが、簡単に避けることができます」
「だろうな。回り込めばどこからでも入れる」
アッシュは腰ほどの高さの胸壁に近づき、要塞の周囲を見下ろす。防備のための要塞らしく、今いる最上部まで複数の経路があり、そこに入るまでの外郭部にも芝生が広がっていた。
「また特徴的なところでは、破壊されたネアンの所属先ですが──」
そこでノイドの言葉が止まった。
バニラ香と薄い煙が風に散っていく。タバコの煙が、地上に忘れられた雲のように漂う。
「アッシュ捜査官」
「あ? 待て待て、俺じゃねぇよ!」
語気を強めたノイドに対し、アッシュが慌てたように手を振る。直後、背後から笑い声があった。
「観光客がいないのはいいね」
アッシュが振り返ると、そこに私服姿のエステラがいた。咥えタバコのままノイドに近寄り、預けていた携帯灰皿を返すように促してくる。
「行儀が悪いぞ、エステラ」
「だってさ。ノイド君はどう思う?」
「アッシュ捜査官に言われるのは相当ですね」
さすがのエステラも肩をすくめた。彼女は紙タバコを携帯灰皿に捨てつつ、改めてアッシュたちに向き直った。
「なんでお前がここにいるんだよ、って聞かないの?」
潑剌としたエステラの笑みは、まるで小さな悪事がバレた不良少女のようだった。
「今更だろ。おい、代わりに聞いとけ」
「エステラ捜査官、どうしてここに?」
待ってました、とばかりにエステラが親指を立てて要塞の外を示した。見下ろせる距離、市街地の大通りに人々の集団がいた。彼らはデモ行進を行っているらしく、旗を掲げながら何かを叫んでいるようだった。
「カルタヘナでは、先週からネアンを含む人造種に関する生物環境会議が開かれてる。その反動で、今現在、反ネアン団体が乗り込んでデモ行進中。テロ予告も出されてる」
「で、捜査部から派遣されたってところか?」
「そんな感じ。あなたたちが来るのも知ってたけど、あえて黙ってたよ。驚いた?」
楽しげなエステラに対し、アッシュはおどけるように唇を曲げた。しかし、その直後に気づいたものがあったのか、不意に真剣な表情を作った。
「エステラ、この街に反ネアン団体が来てるんだな」
「ええ、先週からね」
「じゃあ、キング・ラッドは来てたか?」
アッシュから指摘を受け、エステラも何かに気づいた様子だった。その場で端末を開いて情報を拾い始める。やがて意にかなう情報を見つけたのか、小さく頷いてみせる。
「ラッドは二日前にいたらしい。動画もある。機能停止したネアンを破壊するパフォーマンスで大ウケしてる」
「なるほどな。ヤツとは昨日、エディンバラで会ったが、その時は帰国直後ってところか」
アッシュはエステラに捜査状況を伝え、今のところ、ラッドが容疑者として有力である旨を伝えた。
「ウィーンで〝アート〟を設置してからカルタヘナへ。フライト十二時間、時差でマイナス六時間。面倒だが不可能じゃねぇ」
自らの推理を披露するも、アッシュは浮かない様子で息を吐く。
「ま、状況証拠ばかりだがな」
「でも、決まりかもね」
そう言ってエステラは一歩進み、物見台の上に飾られた〝アート〟を見上げた。風に揺れる髪を押さえながら、憐れむような視線でネアンの残骸を見ている。
分厚い雲が風に流れ、ほんの数秒だけ太陽を隠す。石の要塞は、途端に寒々しいものとなった。吊るされたネアンの残骸は黒い影となって揺れ、組まれた背骨が鐘の如くギィギィと鳴る。
「可哀想に」
その呟きをアッシュは聞き逃していたが、ノイドは無表情のままエステラの後頭部を見つめていた。

カルタヘナ市内のリゾートホテル、その一室でアッシュとノイドが顔を突き合わせている。
テーブルの隅に映像端末が置かれ、天板全てをスクリーンとして世界地図が投影されている。その地図上には〝アート〟が発見された都市がマーキングされ、上から、キング・ラッドがイベントなどで滞在していた場所が重ねて表示されていた。
「これまで見つかった〝アート〟が八件で、キング・ラッドが滞在していた都市と重なるものが三件です。近隣の都市も含めると五件ですね」
「一応、時期もかぶってるな。まぁ、今更な情報だが」
「やはりキング・ラッドが犯人なのでしょうか?」
ノイドからの問いかけに、アッシュは首を横に振って椅子へ身を預けた。手持ちのスキットルに口をつけ、ウィスキーで喉を湿らせる。
「さぁな」
アッシュは何気なく、窓の外を眺めた。
旧市街側は夜闇に包まれているが、ホテルの建ち並ぶ観光地区は光に溢れている。あるいは黒い海を鋭角に切り取って作られたヨットハーバーにも光の点描があり、港に停泊中の貨物船とクレーンが赤色灯を光らせていた。
「まだ〝決定的な証拠〟ってヤツがねぇ」
これまで状況証拠だけで捜査を続けていたアッシュだが、決め手になるものを探しあぐねていた。あと一つでも、何か手がかりがあれば、と願った。
「そういえば」
だから、ノイドの言葉にアッシュは前のめりになった。
「どうした、何かわかったか?」
「いえ、単なる感想です。エステラ捜査官についての」
なんだよ、と一声。アッシュは力を抜いて、椅子の背もたれに体重を預ける。
「エステラ捜査官、彼女はネアンに対して親切に接してくださる方だと、そう思いました。先程も〝アート〟を見て、労るような言葉を口にしていました」
「だから俺と違って良い人だ、ってか」
アッシュの軽口にノイドは反応しなかった。
「って、なんか言えよ!」
「申し訳ありません、考えていました。アッシュ捜査官がネアン嫌いなのに理由があるように、エステラ捜査官にも何か理由があるのかと」
「ああ、まぁ、あるだろうな」
そこでアッシュはサイドテーブルに置いてあるホルスターを見た。その中には自身の昔からの相棒たる拳銃が入っている。
「俺の相棒はその銃だが、エステラにとってはネアンだった」
アッシュはエステラのことを思い出していた。
数年前、彼女は新しい相棒として一人のネアンを紹介してきた。大柄な成人男性タイプで、トレンチコートにハンチング帽をかぶった姿は、エステラよりもずっと捜査官らしかった。
「識別名は忘れちまったが、エステラはその相棒のことをデュークって呼んでた。子供の頃に飼ってた犬の名前なんだと」
「それくらい大事にしていた、と」
「だろうな。いつも一緒にいたよ。事件の捜査は当然だが、普段のランチや旅行にも連れ出してやがった。棚の上に手が届かなけりゃ、デューク、あれ取って、なんて言ってよ、まるで人間の友達みたいにな」
捜査官付きのネアンは守護局の備品に過ぎない。
そう割り切っている捜査官が多数派である一方、エステラのようにネアンを大事に扱う者もいた。とはいえ珍しいことでもない。拳銃や捜査車両と同じ、自らの命を預けるための道具を相棒としただけのことだ。
ただ、エステラに特別な思い入れがあったとすれば。
「アイツは、その相棒を失ったんだ」
「失った、ですか?」
「ネクタル密売の捜査中に、ギャングから襲撃されたんだよ。エステラは早々に逃げ出せたが、相棒の方は破壊された。その時はアイツの盾になったらしいから、役目はしっかり果たしたんだろう」
捜査官を守ることもまた、捜査官付きネアンの役目の一つだ。ただし、それで破壊されても殉職という言葉は使われない。装備品の一つが失われた程度の扱いだ。
「希望すれば新しくネアンを付けられただろうな。でも、エステラはそれをしなかった。思い入れ、ってやつだ」
その結果、巡り巡ってアッシュのもとにノイドが配属され、こうして〝ネアン・アート事件〟に駆り出されている。世の中というのは複雑怪奇な巡り合わせで動いているらしい。
「なるほど、そのようなことが」
ノイドの表情に変化はないが、言葉にはどこか優しい調子があった。それを見たアッシュは、つまらなそうに顔を背ける。
「だからって俺に期待すんなよ。もしお前が俺をかばって壊れても、俺はこれっぽっちも同情しねぇからな。すぐに新しいネアンを配属させて、いや待て、ダメだ、もうネアンを相棒になんかしねぇ」
「そういうことなら」
ノイドが唇の端を上げた。あえてアッシュに気づかせないような、小さな笑みだった。
「自分が、あなたの最初で最後の相棒になりますね」
ジョークとも本気とも取れない発言に、アッシュはやや鼻白み、何かを誤魔化すようにウィスキーを呷った。
「百年早ぇよ」
その一言で会話は終わった。
やや無音の間が流れ、アッシュは喉を通っていく酒の味を意識する。やがて思考がぼやけ始めた頃、ノイドが忙しなく室内を見回しているのが見えた。
「どうした?」
「いえ、すいません」
そう告げると、ノイドが椅子から立ち上がる。そのまま部屋から出るつもりなのか、掛けていた外套を羽織り、アッシュに背を向けた。
「そろそろネクタルを補給しようと思ったのですが、どうやら手荷物をクロークに預けたままだったようです。少し、下まで降りて取ってきます」
「おう、行ってこい」
「ついでに近くも見回っておきましょうか? 少しでも捜査の役に立てるなら」
ノイドの申し出にアッシュは手を振って応える。「好きにしろ」と言葉も加えてから、再びスキットルに口をつける。
「では」
一度だけ振り返ってから、ノイドは部屋から出ていった。
その背を見送ったアッシュは、ノイドが何を考えていたのかを推理した。
「何が役に立てるなら、だ」
エステラと相棒のネアンについて話してから、ノイドの視線が不自然に動いているのを何度も見ていた。単にネクタルを探していたのかもしれないが、酔いの回ってきたアッシュは、それ以上の意味を見出してしまう。
「とにかく体を動かしたいんだろ。誰かに認められたいからだ。俺も新人の頃は、そうだった」
もしもノイドが、アッシュに認められたい一心で行動しているとしたら。エステラと相棒のように、信頼し合える関係になりたいと願っているとしたら。
「ネアンが、そんなこと思うわけねぇやな」
皮肉な笑みを浮かべつつ、アッシュは眠気に身を浸した。



自身が拘束されていることを、ノイドは即座に察知した。
皮膚の感触から、今は服を剝かれ、仰向けで寝かされていることもわかった。背中は冷たく硬質なものに触れている。簡易ベッドなどではなく、作業台のようなものだろう。
まず通信を試みたが、エラーが検出され、外部への連絡は不可能だとわかった。視界は暗く、手足が動く気配もない。物理的な拘束ではなく、信号を遮断し、ネアンを無力化する機器が使われているのだと判断する。
その一方、思考フレームは解放されており、視覚以外の認識機能と発話機能への制限がかかっていないことも確かめた。
「近くに誰かいますか?」
予想通り、ノイドの言葉は虚しく響いた。
声の反響から、今は天井の高い屋内にいると理解する。外気温は二十度で、相対湿度は四十五パーセント。空調が管理され、かつ人間が出入りする気配がない。何らかの研究施設か、倉庫のような空間をイメージする。
「誰かいますか」
再びの反響。集音機能を働かせると、今度は音が周囲で乱雑に跳ね返っていることに気づいた。様々な高さの遮蔽物があるため、工場か倉庫の可能性が高い。
さらに小さく波音も聞こえてきたから、港湾地区にある倉庫で間違いないだろう、とノイドは考えた。
「誰か」
呼びかけつつ、ノイドは自身の行動を振り返る。
ホテルのクロークで手荷物を受け取り、まずネクタルの補給を行った。その後、外へ出て周囲に不審者がいないかを見回ったはずだ。
しかし、その直後に信号が途絶えた。
ネアンを対象にした制圧能力を有し、高度な機器を扱える人間。この条件に当てはまる者は多くない。
反ネアン団体か、あるいは──。
その時、近くで足音が響いた。

がっ、とアッシュは自らのいびきで目を覚ました。
椅子にもたれたまま、スキットルを片手に寝入っていたようだ。時計を見れば、ノイドが部屋を出てから一時間も経っていた。
「あいつ、まだ帰ってねぇのか?」
アッシュが椅子から立った。それだけで軽い立ちくらみが起き、さらに膝の関節が悲鳴を上げる。日頃の不摂生がここに来て現れたのだ。
「ったくよぉ」
サイドテーブル上の端末を手にし、アッシュはコールを送る。しかしノイドからの反応はなく、それどころか通信が切られている様子だった。
未だにノイドは帰らず、通信すらできない状況にいる。
そのことに対してアッシュは様々なケースを想像する。中でも最も妥当で、最も厄介なものが脳裏に浮かぶ。つまりノイドが反ネアン団体に捕まったというものだ。
「なにやってんだよ、クソが!」
アッシュはホルスターに手を伸ばし、もう一方で椅子にかけていたコートを引き寄せた。
その時、翻ったコートの裾がテーブルにかかり、捜査資料を表示させていた映像端末が落下した。床に落ちたことで映像は乱れ、無意味な光を天井に向けて照射する。
苛つきながら、アッシュは舌打ちをする。端末を拾い上げ、乱暴にテーブルへ置き直す。それに伴い、表示されていた捜査資料は別のファイルを参照した。
「あ? こりゃ確か」
テーブルに投影されたのは、サン・フェリペ要塞で〝アート〟にされていたネアンの身元についての情報だった。
「あの時、エステラが現れて聞きそびれたヤツか」
表示された情報によれば、破壊されたネアンは、表向きには貨物船の作業員として登録されているが、その所有企業は架空のものだという。実際には、件のネアンは違法な労働を請け負う会社のものであり、あらゆる雑務に駆り出されていた経歴があった。
「ようは裏社会の何でも屋だな。とはいえネアンだからな、そこまでの悪事はできないだろうが」
企業所有のネアンは行動を管理されており、捜査部の権限を使えば移動履歴を開示させることは簡単だ。実際、ノイドもアッシュに黙って件のネアンの移動履歴を調べていたようだった。
情報を漁るアッシュの顔つきが険しいものに変わっていく。ノイドを探しに出るつもりだが、それ以上に知るべきことがあった。
「一週間前、あの〝アート〟にされたネアンはウィーンにいた」
たとえば、とアッシュが思考する。
これまでの〝ネアン・アート事件〟で犯人の姿は見えなかった。それは〝アート〟を運び込む姿を目撃されていなかったからだ。もし犯人が、こういった違法労働を担うネアンを雇い、現場に〝アート〟を設置するように命じたとしたら。
「労働しているネアンに注目する人間はいない。特に観光地じゃ、そんなものを見る必要もねぇ」
アッシュは想像を続ける。
例の〝アート〟を設置し終えた犯人は、今度は雇ったネアンを口封じに壊せばいい。さらに、それを新しい〝アート〟の材料にしたのが、今回のカルタヘナでの事件だ。
「だが、どうしてそんな回りくどいことをする。身元を隠すためか、いや、それとも──〖圏点:ネアンを使わないと〗〝〖圏点:アート〗〟〖圏点:を運べない〗、か」
その時、アッシュの脳裏に犯人像が浮かび上がった。
ネアンに対して強い思想を持ち、世界中のどこであれ移動できる、社会的地位と時間を有する者。加えて、罪を着せるつもりのキング・ラッドの動向を把握しており、わざわざネアンを雇わなければ自身で〝アート〟を運び込めない人間。
このプロファイリングに該当する人物を、アッシュは良く知っていた。
「そういうことかよ」
アッシュはホルスターとコートを手に、部屋の外へと駆け出す。ガンガンと響く頭も、膝の痛みも無視できた。
捜査官としての意地だけが、ひたすらに体を動かしていた。



足音の主が近づいてくる。
次いで、ライターが擦られる音と独特なバニラ香が漂ってきた。ノイドはそれを検知する。
「やはり、あなたが犯人だったのですか」
手がかざされる感触があった。首元に触れられ、何らかの操作が加えられる。どうやらネアン拘束用の首輪をつけられていたらしい。
「エステラ捜査官」
ノイドの視界が開ける。
首は動かず、周囲は薄暗いが、それでも視界の端に小柄な女性が立っているのが確認できた。
「やっぱりバレてたかな?」
高い天井に梁と小さな照明が見える。予想通り、ノイドの体は作業台に寝かされていた。さらに周囲に輸送用ボックスが無数に積まれているから、ここが港の倉庫だとノイドは判断した。
「確証はありませんでした。しかし、ウィーンとカルタヘナ、二つの現場で、エステラ捜査官の吸うタバコに含まれる香料が検知されました」
ヘビースモーカーであるアッシュには気づけなかった臭いだ。捜査用ネアンであるノイドだからこそ、件の〝アート〟に染みついたタバコの成分を理解できた。それも、もう一日でも遅れていれば、風に散って感じ取れなくなっていただろうが。
「現場に出てわかるものがある、というアッシュ捜査官の言葉は正しかったようです。臭いは写真や映像では感じ取れません」
「そうか、さすがだね。誤魔化せるように携帯灰皿を渡したり、わざと目の前でタバコを吸ってみたんだけど」
エステラは悪びれる素振りもなく、ノイドを見下ろしながらタバコの煙を吹きかけた。
「この煙が、烟った銃口(スモーキングガン)になったわけだ」
「それは詩的表現ですか?」
「慣用句で〝決定的な証拠〟って意味だよ」
体を動かせないままに、ノイドは素直に頷こうとする。
「覚えておきます。勉強しろとアッシュ捜査官に言われたので」
「使う機会は訪れないだろうけどね」
カフェで友人に語りかけるように、柔らかな調子でエステラが呟く。そのまま笑みを浮かべ、手を伸ばして手近な場所にあったカートを引き寄せる。
「君を壊さないといけない。別に逮捕されてもいいけど、もう少しだけ自由でいたいからね。報告させるわけにはいかない」
エステラがカートから二つの工具を取り上げた。手持ちのドリルと丸鋸に似たレーザーカッターだ。それらを使えばネアンを効率的に解体できるだろう。
「いつもならネクタルが切れるまで監禁して、ネアンが動かなくなってからやってるんだ。反応がある状態で切り刻むのは趣味じゃないし、手元が狂うかもしれない。どうやっても芸術的にはならない。だから、先に謝っておくね」
レーザーカッターが起動する。切断モードではないから、最初は単なる緑色の光がマーカーとして照射されていく。光の線がノイドの体を縦横に走っていく。
「あなたにとって〝ネアン・アート〟は芸術的なものだったのですか?」
「ああ。なるべく美しく、なるべく悲惨である方が良かった」
芸術的にできない、と言いつつも、やはりエステラにも最低限の美学があるのだろう。彼女は何度もレーザーカッターの角度を変えて、ノイドの肉体の凹凸を測っていく。より美しく切り取れる箇所を見定めるために。
「そうして多くの人々に注目させ、ネアンに同情的な世論を作る。ネアンの権利向上が議論された時に役立つように」
「別に、そんな高尚な目的があるわけじゃないよ」
「では、相棒だったネアンのためですか?」
ノイドの言葉に、エステラはわずかに反応する。それまであった余裕の笑みが消える。
「アッシュに聞いた? そうだね、デュークは私にとって大事な相棒だったよ。父親のようで、兄のようで、恋人のような。でも、彼は壊れてしまった」
ただ、とエステラが再び笑った。自らの信仰心を確かめるような、何かに陶酔する微笑みだ。
「その時の姿が綺麗だった。私を庇おうとして、たくさんの銃弾を浴びて、バラバラになっていく。そんな彼を見て、美しいって思った。ネアンが、どこまでも人間のために作られてる、っていう実感があった」
恋心を打ち明けた少女のように、エステラがはにかむ。
それはネアンという存在を自分のためだけに消費する快楽だ。嗜虐心とは違う、美しい花をちぎって押し花を作るような、儚さを自分の手のひらで感じたいという欲求だった。
「だからまぁ、趣味みたいなものだよ。ボトルシップを作る人や、刺繡を楽しむ人がいるように、壊したネアンを綺麗に飾りたい人がいるだけ。むしろ私より上手い人が増えてもいい」
謙虚な口ぶりだが、エステラの手際は良かった。話しながらも、既にノイドの体を測り終え、どの順番でパーツを分割していくかも決めたようだった。
「本当に申し訳ないと思ってる。時間があれば、もっと丁寧に解体してあげられたんだけど。でも、さすがに同じ街で〝アート〟が見つかると私が疑われちゃうからね」
ジッ、とレーザーカッターが音を放つ。工具は切断モードへ切り替わり、出力が高められていく。
「反ネアン団体の仕業にするつもりですか」
「そうだね。君は道端で反ネアン団体に捕まり、彼らのパフォーマンスのために解体された。それでアッシュには納得してもらう」
「あの人は──」
ノイドは目を閉じる。レーザーカッターが皮膚に近づく。あと数秒もすれば、人工皮膚を焼き、繊維筋肉を溶かし、金属骨格すら断ち切られる。
しかし、ノイドに不安はない。
「それほど、物分かりの良い人ではありませんよ」
直後、ガン、と大きな音が響いた。
さらに音は続く。倉庫のシャッターが何者かによって蹴られている。
「──そうみたいだ。私より詳しいね」
「近くで見ていましたので」
ついに銃声が響き、シャッター錠の留め具が弾け飛ぶ。とどめとばかりに蹴りが放たれると、シャッターカーテンが大きくひしゃげた。
「エステラ!」
歪んだスラット板をくぐり、拳銃を構えたアッシュが現れる。
「よくわかったね、アッシュ。これでも監視カメラは避けて来たはずなんだけど」
「なめんなよ。そんなのはな、近くに住んでるヤツ叩き起こして聞きゃ一発だ。人間の目撃情報ってのが一番いいんだよ」
「参ったな、昔気質の現場主義だ」
アッシュは拳銃を突きつけながら、ノイドが寝かされている作業台へ近づいていく。それが、ある一線を越えた瞬間、エステラがレーザーカッターを掲げた。
「待った、それ以上近づくとノイド君の首を切り落とす」
「やってみろよ」
エステラがレーザーカッターを再び起動させ、ノイドの細い首へ近づける。
「アッシュは知らないのかな。ネアンだろうと、頭部を落とせば信号が途絶えて機能停止するよ。それとも、その古い相棒で私を撃つつもり?」
この脅しにアッシュは歩を止めた。しかし、拳銃はしっかりとエステラを狙っている。彼女が追い込まれているのも事実だった。
「考えてみて、アッシュ。私を撃ってどうなるの。私の罪は大したものじゃない。ただの器物損壊だよ。それで捜査官が、それも同僚を撃ったなんて──」
「その同僚が、俺の相棒を壊そうとしてんだろ」
この状況で、アッシュは初めてノイドのことを相棒と呼んだ。本人にとっては咄嗟の言葉なのかもしれないが、ノイドの記憶装置は、この瞬間をしっかりと記録した。
だから、ノイドは真上を向いたまま微笑んだ。その表情の変化に、アッシュは全く気づけていないが。
「それに、なんだ、大した罪じゃないだと? 市民の安全を守る、守護局の捜査官が、世間様を騒がして不安にさせる。ふざけてんなよ、エステラ!」
「アッシュ!」
二人の捜査官が睨み合う。一人が一歩踏み込めば、レーザーカッターが一センチずつ下がっていく。
「別に見逃してくれ、なんて言わないよ。必ず出頭するし、アッシュの手柄にしてもいい」
「じゃあ、なんて言うつもりだ?」
「待ってて欲しいんだ。あと二体だけ、ネアンを〝アート〟にしたい。それで作品が合計十個。一人の活動としては十分だ。それに、次こそは上手くいくはずなんだ」
エステラの言う「上手くいく」は、かつて相棒だったデュークを失った時と同等の感動を得る、という意味だった。この場で、その意図を理解したのはノイドだけだった。
「話にならねぇな」
アッシュは溜め息を吐き、拳銃を構え直した。
「まぁ、そうだよね。捜査官って仕事は、信念がないとやってられないしね。だから──アッシュもノイド君を失ったら、私の気持ちがわかるかもね」
交渉が決裂したことを認め、エステラは緊張を解いた。レーザーカッターを握る手も揺れている。
「じゃあ、痛み分けってことで」
そしてエステラは、ゆっくりと手を下ろす。
アッシュは引き金に指を掛けている。
しかし撃てない。エステラの言葉も真実だからだ。ネアン一体のために同僚を撃つというのは、まるで釣り合わない暴力行為だ。
レーザーカッターの赤い光線が迫る。空気中の埃を焼き払いながら、それはノイドの首へ吸い込まれるように下りていく。
光線の端がノイドの皮膚に触れる。その一瞬だった。
「エステラ」
 その声に、エステラの手が止まる。
「エステラ、もういい」
 声はノイドの口から発せられている。しかし、柔らかな彼の声ではない。アッシュも聞いたことのない、低い男性の声だった。
「デューク?」
「もういいんだ。私が悪かった。君のため、自分のことも、守るべきだった」
「あ、ああ」
エステラは呻き、手にしたレーザーカッターを取り落とした。地面に落ちた工具は安全装置が作動し、もはや用をなさなくなった。
その隙を見逃さず、アッシュが大股の一歩で迫る。拳銃を後ろへ放り投げ、エステラの腕を取った。
「エステラ!」
柔道の技を使い、アッシュはエステラを倒しながら腕を極める。すぐさま片手で電子手錠を取り出すと、今度は彼女を後ろ手に拘束した。
「エステラ・サリアン、現行犯だ。罪状は、とりあえず公務執行妨害でいいな」
ようやく事態を理解したのか、エステラは力なくうなだれた。
「拳銃、使わないんだ」
「当たり前だ。撃つわけないだろう」
「女だから? 古臭いね」
強がりの笑い声があったが、アッシュは苦い顔を浮かべるだけだった。



事件は終わった。
アッシュは捜査部にエステラ逮捕の件を報告し、同時に地元警察の応援も要請した。やがて小一時間ほどで港の倉庫に警官が集まると、エステラの身柄は即座に引き渡された。
世間を騒がせる〝ネアン・アート事件〟の犯人は現役捜査官だった。
その結末は、アッシュの想像以上に重いものらしく、エステラが連行される時には、守護局の権限で倉庫街が完全封鎖されていた。加えて捜査部は地元警察への説明も行わず、ただ厳重に犯人を勾留するよう、頭ごなしに命じていたらしい。
こうしてエステラは十人以上の警官に囲まれ、振り返る瞬間すらなく倉庫を去っていった。
「地元警察の皆様には頭が上がらないね。こんな深夜に駆り出されてよ、詳細は言えませんってヤツだ。また捜査部が嫌われ者になるな」
溜め息まじりに、アッシュはタバコの煙を吐いた。倉庫の壁によりかかり、黒く揺れる夜の海を眺めていた。
今は地元警察を見送り、現場検証に来るという捜査部の人間を待っている時間だ。高速機で来るというが、到着までは、もう二時間はかかるだろう。
「ったく」
アッシュはエステラの今後を考える。
実際、現在の社会では彼女を罪に問えるかもわからない。世間を騒がし、捜査部を動かす事件だったが、当の犯人が捜査官では事件そのものを揉み消される可能性もある。エステラは免職されるだろうが、今度は芸術家と名乗って同じ行為を繰り返すかもしれない。
その時、社会は再び突きつけられるのだ。ネアンは単なる道具か、それとも人間のように憐れむべき相手なのか。
「アッシュ捜査官」
思考の迷路に陥っていたアッシュだったが、その声によって現実へ引き戻される。
「おう、検査は終わったか?」
「問題ありませんでした」
制服に着替え直したノイドが、当然のようにアッシュの横に並ぶ。
「ところで、気になってたんだがよ。さっきの声はなんだ?」
あの時、ノイドは確かに低い男性の声で喋っていた。それを聞いたことでエステラは動揺し、この穏当な結果が訪れたのだ。
「あれは、エステラ捜査官の相棒だったネアンの声です」
「おいおい、それじゃ何か、そのネアンの魂がお前に宿ったとか、そういう──」
「そんなわけないじゃないですか」
ああ、とアッシュから威嚇じみた声が出てくる。
「こちらで音声のピッチを変え、成人男性タイプのネアンに使われる合成音声を再現しました。人間のモノマネのようなものです」
「じゃあ、あの時の言葉は」
「アドリブです。エステラ捜査官の心理状態を観察し、動揺を誘えるような言葉を選びました。人間の感情の機微、というやつです」
平然と言ってのけるノイドに対し、アッシュは目を見開き、次に呆れたように口を大きく開けた。しかし、ネアンの相棒が何をしたのか理解すると、途端に大笑いし始めた。
「上出来だぜ」
ばん、と力強くノイドの背が叩かれる。
「それが出来りゃあ、立派な捜査官だ」
面白そうにアッシュは何度もノイドの背を叩く。それを受け止めるノイドもまた、どこか困ったような笑みを浮かべた。
「ところでアッシュ捜査官」
「なんだよ?」
「タバコを海に捨てたりしないでください。携帯灰皿は持ち合わせていませんので」
アッシュは顔を歪め、生意気な相棒の肩を強く叩いた。
夜の海に、遠く星の瞬きが映っていた。

守護局捜査部の庁舎二階、例の喫煙所にアッシュの姿があった。喫煙仲間は減ってしまったが、静かならそれに越したことはない。
「アッシュ捜査官」
階段の方からいつもの声が聞こえ、アッシュはすぐさまタバコをバケツへ投げ捨てた。
「またですか? タバコの数、減らした方が良いかと」
喫煙所にノイドが現れ、相変わらずの小言を言ってくる。相棒として捜査に付き従うようになってから、いくらか経ったというのに、この態度だけは変わらないらしい。
「吸ってねぇし」
「じゃあ、なんでここにいるんです」
「お前こそなんで来たんだよ」
「部長がお呼びです。特別な案件らしく、内密にということでした」
また厄介事か、とアッシュが唇を曲げる。
しかし断るわけにもいかず、アッシュはノイドを伴って移動する。風を切って廊下を歩けば、くたびれたコートが翻り、その後ろを子犬のようにノイドが追ってくる。
「部長!」
執務室の扉を開け、アッシュが肩を怒らせて一歩ずつ進む。対する部長も態度を崩さず、一人の捜査官とネアンを確かめている。
「何か御用ですかな」
「非常に大事な御用だよ」
アッシュが息を深く吐いたのと同時に、部長が背後の窓に触れた。途端に室内は暗くなり、窓はディスプレイとなって映像を浮かび上がらせる。
「つい数時間前に起きた事件だ」
アッシュとノイドは横並びになり、スクリーンに映った画像を確かめる。
一面の暗闇、宇宙空間に浮かぶシャトル船。
一部には大きな破損がみられ、その残骸が周囲に散っている。ちょうど客席部だったらしく、数人分の死体が外へ放り出されていた。
「事故ですか?」
ノイドの言葉を否定も肯定もせず、部長は画像の細部を表示させる。
「ロイ・ユングハルト博士。ネアン工学の権威、というよりも生みの親と言った方がいいな」
その言葉と共に、画像の一部がズームされた。犠牲者たちの中に老年男性の姿がある。その人物の顔を、アッシュも何かの記事で見た覚えがあった。
「これは事故ではない。暗殺だよ」
画像はさらに横へとずれる。人間たちの死体の中、宇宙空間にあっても姿勢を保つ人影があった。ただの人間であるはずがない。
人影は赤い機械装甲をまとっていた。
その赤い仮面は、その下にある感情を隠した。しかし、明らかに博士への殺意を漂わせていた。
「博士を狙って、そいつが民間のシャトル船を撃ち落とした、ってことですかい?」
「確証はない。だが、早々に真理部が出張ってきた」
「つまり、単なるテロじゃない」
アッシュが挑むように赤い容疑者を睨み、ノイドは無表情のままに頷いた。
「追えるかね、アッシュ捜査官」
ディスプレイは閉じられ、室内に光が戻ってくる。部長は逆光を背に、その眼鏡の奥から鋭い視線を向ける。
「当然でしょう」
アッシュは不敵な笑みを浮かべ、隣に立つ相棒の肩を叩く。
「俺たちが、その赤いヤツを捕まえてやりますよ」
ノイドが頷けば、ギャリソン帽に縫い付けられたエンブレムが光に照らされた。 それは民衆を守る者の象徴にして、誇りそのもの。


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試し読みは4月16日(火)までの期間限定で公開
「グラモーラの歌声」の試し読みも3月29日(金)にアップ予定

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